身形からのアプローチ
お洒落な服を買いに行くのは敷居が高い
私は昔ひきこもり生活を送っていました。
その生活から脱するときに私は意を決して服を買いに行ったのです。
ひきこもり生活で対人恐怖症になってしまい、人とコミュニケーションをとれなくなりました。
人とコミュニケーションがとれないことを「身形のダサさ」を理由にしていました。
ダサいと相手から見下される恐怖があります。
だからせめて服装だけはオシャレにして、堂々と人と対峙したい。
とにかく舐められないように服を買いに行ったのです。
そこは地下にあるショップでした。
私はその店内にある数あるデニムを物色していました。
すると店員さんが寄ってきて頼んでもいないのに手に取った洋服の説明をし始めたのです。
「こ、怖い・・・」
ノルマがあるから彼らは必死になって話しかけてくるのでしょう。
しかし私の様なタイプの人間にはそれは逆効果なのです。
彼が喋れば喋るほど私の心は離れていきます。
できれば黙ってそっと見守っていてほしい。
それとともに全身がカッと熱くなって、じんわりと脂汗を掻いている感触がありました。
どうせ、店員も私のことを「ダサいやつ」と思って見下しているのだろう・・・。
だからコジャレタ店員に話しかけられると、劣等感をくすぐられて嫌な汗を掻くのです。
しかも無収入の私には一着の洋服代の支出も大きく、数千円のお金を払って物を買うというのは身を削るような思いがありました。
その後、単独での買い物に限界を感じた私は姉に付き添ってもらい、アドバイスを授けてもらいながら洋服を買うことにしました。
人ごみで緊張して過呼吸になる可能性もあったので、遠慮なく弱みが見せられる家族の存在は外出をするうえでも大きかったのです。
洋服を買う時にアドバイスを授けてくれるメンター兼店員に話しかけられたときに盾になってくれる用心棒として姉に付いてきてもらいました。
ありがとうお姉ちゃん。
この世の真理?
社会人になり職場で同僚たちを観察していて思うことがあります。
それは周りの人たちから大切に扱われている人は、自分のことを大切にしている人だと思います。
きちんと自己防衛を行っている人は周りもその人を尊重しているのです。
一方で自己犠牲の強い人(権利を主張しない人、自分の時間を安売りする人など)は周りもその人のことをどこか舐めているような印象があります。
なんとなくそのことに気付いてから私は自分のことを大切に扱おうと思いました。
身形について斎藤一人さんの見解
自分を大切にすると、他人からも大切に扱ってもらえるという考え方を学んだのは斎藤一人さんの本からです。
人生を立て直そうと思ったときに、よく読んでいたのは斎藤一人さんの本です。
「世界一幸せになれる7つの魔法」宮本真由美著(PHP文庫)
↓斉藤一人さんというよりお弟子さんの宮本真由美さんの本です。解りやすいので、実践するときに何度も読み返しました
身形は主に明るい服を着るようにというアドバイスです。
洋服は自分が満足するだけではなく周囲の人たちも明るい気分になってもらい、喜んでもらうためのものである。
だから恥ずかしがらずに明るい服を着なさいということでした。
さっそく服を見回して検討する
当時その言葉を受けてクローゼットを見返すと黒、茶色、紺の服ばかりでした。
それからは古着屋に行き、明るい色調の質の良さそうな服を探して買っていくようにしました(もちろん姉のボディーガード付き)。
↓断捨離前のクローゼット。
シューズ専門店で千円ほどのグレーのスニーカーを購入しました。
安価で職場で履く靴を見つけ出した私は買い物上手。
意気揚々と翌日職場に履いていくと予想外の反応がありました。
「なにそれ!?自分正規職員なんじゃけ~もっと良い靴買ったら!?身形は大事よ!」
えーーー身形を大事にしていたのにーーーー!!
買い物上手と密かに自負していたのに、秒速のダメだしで自信が脆くも崩れてしまいました。
すぐにその日の帰り道に靴を買い替えることにしました。
身形に気を使うとか言いながらどこかで「安ければ安いほど良い!」という発想が私の価値観の中で色濃くあったようです。
それから数週間後。
美容院で髪を切った私の姿を見て父が話しかけてきました。



勝ち誇った様な顔で安さをアピールしてくる父を見て、グレーの安いシューズを買って満足していた感性は父譲りだと確信したのでした。
服だけではありません。
靴や髪形、髭の剃り残しもないようにきちんと剃って、爪も切って、鼻毛なども気を付けていきます。
またスメルハラスメントという言葉もあります。
口腔ケアも行って清潔感を保っていき、自分を大切にしていきます。