本の実践

宇宙と同調するために「無」となることで幸運がやってくる。

宇宙と同調することを説くスピリチュアルの本を試してみる

空白の時間をつくる

頻繁にこのブログに登場している著者である大木ゆきのさんの「幸せが無限に舞い降りる お手上げの法則」(大和書房)を紹介します。

主人公は40代半ばの独身女性の「私」。

彼女が好意を寄せている同僚の男性が結婚することを知り、絶望するところからお話は始まります。

落胆している「私」のもとに達人と呼ばれる謎の男性が現れて、人生を好転させる様々なノウハウを授けていきます。

それを実践していくことで「私」の夢が明確となり、叶っていくというストーリーです。

「お手上げの法則」大木ゆきの著(大和書房)

系統としては「夢を叶えるゾウ」に近いものがありますね。

読み比べてみて、「夢を叶えるゾウ」の方がエンターテイメント性が高く、「お手上げの法則」の方がより実践的な印象を受けました。

初めて読んだときに実践してみようと思った部分をリスト化しました。

今回はそんな「お手上げの法則」のリスト化部分を実践していこうと思います。

 

大木ゆきのさんの基本的な考え方を現すと、何冊か読んだ結果共通している考え方は「宇宙との同調」だと思います。

完全に理解できているわけではありませんが、全ての人々が宇宙と繋がっており、不完全と思われる人間は実は完全な存在であったということなのです。

う〜〜ん。わかったような・・わからないような・・。

人と比較して足りないと感じていてもそれは誤解であり、宇宙と私たちは本来つながっている・・・頭で理解しても心から理解できない考え方ですね。

まず、この「お手上げの法則」の肝になるタスクは以下の3つ。

1、何も考えずに無となる。
2、自分を褒める。
3、幸せや快適さを感じられる状態を心がける。

1は「無」となることで宇宙の叡智や恩恵を受け取れる状態になります。

そして2の自分を褒めることで、自己肯定感が上がり、ありのままの自分で生きていくことができるようになります。

そして最後の3で心地よい状態となって宇宙と同調できるようになるのです。

この3つのタスクを自分のものにすることで、宇宙が自分の味方になってくれるのです。

それではまず第一の「何も考えずに無の状態になる」からです。

無の状態になるのは1日5分でも良い。

本の中では「無」の状態になる場面は自分が最も心地よい状態で過ごしているときでした。

主人公の「私」は、湯舟に浸かっているときやカフェでお茶をしているときに心地よい「無」の状態になることができました。

「無」の状態は自分の呼吸に意識を向けて、湧き出る思考をフォーカスせずに流し続けるという瞑想状態でもなることができるのですが、その方法を意識してしまうと頭の中で「呼吸に意識を向ける→思考を流す」という手順を追ってしまうので、結局に「無」にはなりにくいのです。

「無」の状態とは、何も考えない状態なので自分が好きなことに没頭している時の方が、陥りやすい状態なのかもしれません。

ということは先にお見せした3つのタスクのうち、3番目の幸せや快適さを感じられる状態に「無」の状態は繋がっているのかもしれません。

無の状態を実践する

繰り返しますが、何も考えない「無」の状態は心地よい状態です。

私が思うに、よく趣味でガーデニングを行う人や、プラモデルなどの作業が好きな人がいますが、あれも心地よく没頭できる「無」の状態になれるから好きなのかもしれません。

何かを作るクリエイティブな物だと考える必要が出てくるので、さほど考えなくてすむ単純作業が適している気がします。

土を触るのが好きなら草むしりとかが適当な作業ではないでしょうか。

本の中では達人が「私」に向かって「無」の状態を1日5分。そして1週間続けてみろとアドバイスをしていました。

これまで静謐な時間を過ごす

ぼーっとしてみる

そして「無」の状態になってみる

と同じことを呼び名を変えて何度もトライしてみましたが、「無」の状態になろう!と決意するほどに結局は肩に力が入ってしまい、取り組んでいる間は思考が忙しなく動いて「無」になることはできませんでした。

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電車に乗っているときに「無」になってみました。

窓外の景色、特に青空とかを眺めた方が心理的には好影響があるそうだからです。

↓青空を見上げた時の効果について。

車内から外の景色を眺めながらひたすら願いました。

無になろう・・。無になろう・・・。

 

そう思うとますます思考が散漫になっていくのです。

そもそも「無になろう・・。」と頭の中で願うこと自体が「無」の状態ではありません。

結局心地よさを感じることもできずに、そのまま眠ってしまいました。

↓車輌からの景色。

花に救われた時のお話

「無」が大事だと思ったエピソードが一つあります。

私は昔スペインでお遍路をしていたことがあったのですが、その時にホームシックにかかってしまいました。

宿泊先で英語を話す外国人たちとのコミュニケーションが難しいうえに、歩き疲れてヘトヘトになっている。

それで孤独感と疲労で心身ともにすり減ってしまっていたのです。

その時は山道を歩いていました。

 

日本に帰りたい・・・。

 

 

そう思っていると道端に咲いている一輪の花に目が留まりました。

その花が私を励ましてくれたのです。

言葉が聞こえてきたのです。

それは幻聴とは違う気がしますし、私の脳内の言葉でもありません。異質な声だったのです。

その声に私は癒されてホームシックから立ち直ることができたのです。

スペインの村々では村の入り口に花がたくさん咲いているのですが、それから村に入るたびに花たちが私を歓迎してくれている感覚がありました。

この日本では感じることがない感覚は何だったのでしょう。

ある時には疲労と孤独感で打ちひしがれているときに、どこからか声が聞こえてきて私に指示を出したのです。

その指示通りにすると、急にスペイン人の集団が現れて「一緒に行こうよ!」と声をかけてくれたのです。

なぜこのような幸運が起きたか考えたのですが、思うにまず日本と異なり言葉がわからないことがひとつ。そして山道で周囲に自然しかないということ。そして疲れ切って理性が働かない。

つまりインプットもないし考えることもできないまさに思考が「無」の状態だったわけです。

日本にいる時は疲れ切ってしまうことはあっても、周囲は意味のある言葉が飛び交い、1人の時でもネットやテレビ、本など何かしらのインプットを行っているわけです。

ということで、「無」の状態になると普段ではキャッチすることができないそれらの刺激(スペインの場合は声)を受け取りやすくなるのかもしれない・・そんな私の説です。

 

なぜ刺激を浴びてしまうのか?

「良からぬことがおきるのではないか・・。」

ざっくりと一言でこの世界の捉え方を現すと、「良からぬことがおきるのでは・・」が私の世界観なのです。

漠然とした不安感が意識から拭えないために、空いた時間にはその不安感を払拭するための情報収集や、考える行為を繰り返してしまうのです。

情報収集や思考が意義のあることだと本心では思っているので怖くて止めることができません。

何も考えない時間が怖いのです。

何も考えない「無」の状態に何度もトライすることで、自分の怯えきった世界観や、心理に気付くことができました。

それだけでも今は収穫だと思います。

ひとまず「無」になれそうな場所と時間を探してみようと思います。

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