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親切を施すと自信がついてくる
親切とは?
自信を高める方法があるそうです。
その方法は人に対して親切な行動をとるということです。
メンタリストDaiGoさんの著書「週40時間の自由をつくる超時間術」(実務教育出版)によると、親切な行動をとることで人に役に立ったという実感が湧いてきて自己効力感が高まるそうです。
自己効力感は「自分は何か大事なことをなしとげられる」という自信のような感覚のことです。
私が「ひきこもり」生活を送っていた時期に、何が辛かったかというと、誰からも必要とされていないという感覚でした。
その時期に昼夜逆転生活を送っていた私は、ある日の夜にこの生活に耐えられなくなって家から飛び出したのです。
とにかく家から出たかった私が向かった先は、救急病院でした。
病院のフロアーの暗闇に身を隠すように、じーっとしていると、出入口からカップルが入ってきました。
パジャマを着た彼女は明らかに具合が悪そうで、付き添いの彼氏はオロオロしながらも病院関係者を探しているようでした。
身を隠していた私は、咄嗟に暗闇から飛び出し2階のナースステーションに向かいました。
看護師さんを彼らのもとに連れていったときに「ありがとうございました!」と言われました。
嬉しかった・・。
私でも人の役に立つことができるのです。
満足しながら再び私は病院の暗闇の中に消えていくのでした。
誰かの役に立つという感覚は本当に重要なのです。
親切の日を設けてみる
正しい親切の方法というものがあるようです。
改めて「週40時間の自由をつくる超時間術」を読むと、そのひとつとして親切には積み重ねは合わないようです。
1日1回ずつコツコツと人助けをした人よりも、週に1日だけ5回の親切をまとめてこなした人のほうが、最終的にはストレスに強くなりやすい傾向がありました。
「週40時間の自由をつくる超時間術」(実務教育出版)
1日1善だと個々の行為のインパクトは弱く、自己効力感が薄まるようです。
本の中では週15善をお勧めしていました。
というわけで1週間のうちまとめて親切な行為を働く「親切な日」を設けて、自己効力感を高めていこうと思いました。
思いつく親切行為は以下になります。
2、募金する。
3、職場の共有スペースの掃除。
4、親に電話する。
5、同僚を褒める。
さっそくゴミ拾い用のビニール袋を、リュックの中に忍ばせて出勤。
ゴミ拾い
まずは最寄り駅から職場までの徒歩10分ほどの区間でゴミ拾いを行うことにします。
人の目につくところでのゴミ拾いは偽善丸出しなので、人影に隠れた路地でのゴミ拾いを行うことにしました。
久々のゴミ拾い・・・なんとゴミが落ちてない!!
ここはシンガポールか?!(行ったことないけど・・)というぐらいにゴミひとつ落ちていないのです。
コンビニ前にタバコの吸殻が一本落ちていたのですが、通りに面しており目の前には多くの自動車が停車していました。
だから素通り。
路地に入ったところで、紙くずらしきものを見つけて嬉しくなって向かっていったのですが、それは色の落ちた葉っぱでした。
そんなことが2回ほど続き、結局職場に何も拾わないままに到着。
同僚を褒める
同僚を褒めて気分を上げてもらうのも立派な親切だと思います。
というわけで、さっそく後輩が冴えていたので褒め言葉をかけようかな〜と思いました。

この一言を言うか言わないかで迷った末に何も言わないままに仕事を続行。
後輩はよく働くのですが、私は劣等感が強いので、認めてしまうと私の立場が無くなってしまうかもしれないと言う不安で何も言えないままに終わってしまいました。
そしてオチ
仕事中は今日が「親切な日」なんてことをすっかり忘れてしまい、あっという間に退社の時間。
電車に乗り込んでウトウトしていると同僚から2度ほど電話がかかってきました。
「ロッカーにキーケースがささったままになっているので、〇〇さんが今から届けに行きます」
一気に目が覚めてしまうメッセージ。
先輩職員さんが私の家まで届けてくださると言うのです。
いや、しかしそのキーケースに自宅の鍵も含まれているので、家には帰れません。
先輩職員さんと連絡を取り、自宅最寄りの駅のバスターミナル沿いで待ち合わせをすることになりました。
「親切な日」ではなく「親切をしてもらう日」となりました。
そもそも私は普段ロッカーに鍵をかけないのですが、最近新しい職員さんが配属されて、その同僚のロッカーが私の隣なのです。
その同僚の人となりが全くわからず、もしかするとこの同僚は人のロッカーを勝手に漁って、金品を失敬するタイプかもしれないと思い、警戒して鍵をかたのでした。
人に対するそのような猜疑心がまさに裏目・・・。
普段キーを差し込んで回すという動作をとっていないので、すっかりと差し込んだ後に抜くのを忘れてしまったのでした。
寄付代わりにお礼を購入。
さて、わざわざ自宅近くの駅までキーケースを届けてくれるわけですから、手ぶらで帰すわけにはいきません。
スーパーに行き、パンを2つ、400円ほどのハンバーグ弁当1つ、コーヒーを購入して懐に収めて頂くしかありません。
これは親切にあたるのでしょうか?
これは寄付にあたるのか?
いや、きっとこれは寄付にあたらないし、親切でもない。
これは「お返し」というものです。
ケチ爆発
スーパーで購入した食材を持ったまま、先輩職員さんが到着するまでターミナル沿いで待ち続けました。
到着するまでベンチで待っておいて、連絡が先輩から来たら出ていこうとかな・・という悪魔の囁きがあったのですが、私のおっちょこちょいが原因でわざわざキーケースを持ってきてもらい、それでベンチでふんぞり返るのは流石にないと思ったので、従順に待つことにしました。

手元には食材があるわけです。
弁当にパンが2個・・・ここで悪魔の囁きが・・。
キーケースを持ってきて頂くのは本当にありがたいことですが、ここまで食材を献上する必要はないのではないか。
ビニール袋からアンパンを1個取り出し、コソッとポケットに突っ込んだのでした。
その数分後、先輩の車が到着。
食材と引き換えにキーケースを手に入れることができました。
アンパンを失敬したことで、恩を仇で返した感じが否めません。
親に電話をする
両親に電話することも親切の一環なのだそうです。
電話をして元気な様子を伝えることが親孝行になるということなのでしょう。
電話して今さっき起きた「キーケースを先輩に届けてもらった事件」の報告をしようと思ったのですが、睡魔には勝てず。
どうせ週末に実家に帰るので、そのときに報告すりゃ良いか!と思い、結局電話もしませんでした。
このような感じで私の「親切な日」が終わったのです。