他責から自責へと変化する
ツレの部屋の断捨離
2022年の年末に遡ります。
30日、私はツレの家にいき、彼女が病気になる前に使っていた2階の部屋の断捨離作業を一緒に行うことになりました。
ここで説明をすると、ツレは多発性硬化症という神経の病気で半身麻痺状態から病気が進行して、今は歩くことだけではなく両手を使うことすらままならなくなっている状態です。
そんなツレが、学生時代から溜め込んできた思い出の品々を処分したいとのこと。


最近ツレはゲッターズ飯田さんにハマっているようです。
1日かけてひたすら2人で物の処分を行うことにしました。
何年ぶりかにツレは2階に上がったのでした。
部屋にあった思い出の品を彼女の前に提示して「いる・いらない」とジャッジを下してもらいます。
それが結構根気のいる作業でした。
すぐに判断できたら良いのですが、思い出のある品ですから時間がかかるのです。
その作業に付き合っていると疲れてくるのですね。
私はツレの気持ちも大切にしたいという思いがあるので、彼女の意思を無視して勝手に処分するのが嫌だったのです。
これはきっと私が若い頃にひきこもっていた影響もあったと思います。
思いを言葉にすることが苦手だった私は、耳を傾けてくれる人の存在がとにかく大きかったのです。
だから、きっと私はツレの声に耳を傾けられる人になりたいのだと思います。
年末なのに・・・。
さて、本棚の整理を行っていると料理本がいくつかありました。
料理なんてすでにできなくなっているツレですが、それらの本は捨てずにとっておくとのこと。
きっと彼女の中で料理をするという思いを捨て切っていないのだと思うのです。
治療もまともに継続せずに思いだけあっても・・・とは内心思っていたのですが、どこか体が良くなる希望を捨て切っていないことを知れて嬉しい気持ちが私の中にありました。
さて17時半にヘルパーさんが入浴介助に来る予定だったので、17時の段階で作業を切り上げることにしました。
すると、ヘルパーステーションから電話がありました。
「ごめんなさい!水曜日に入ったヘルパーさんが、あのあと発熱があって陽性になったんよ!だから今日はヘルプに入ることができなくて、それで検査に行ってもらえないかね!!」
よりによって年末になんということでしょう・・。
断捨離作業でクタクタになった挙句にツレが濃厚接触者。
PCR検査を受けようと思っても、時刻は既に17半をすぎており、加えて年末ということもあってどこの病院に電話をかけてもつながりませんでした。
夜間の救急病院に電話すると、急患がいて検査はできないと断られた後に、抗原検査キットをドラックストアーで購入して独自で検査をすることを勧められました。
自前の抗原検査キットをツレは持っていたので、それを使おうと思ったのですが、部屋のどこにも検査キットが見当たりません。
断捨離後半あたりから、「年末に私は何をやっているんだ・・」という思いがスクスクと芽生えていたのですが(これは私のワガママ)、ここで一気に怒りが爆発。
「何やっとん!!帰ってくるんじゃなかった!!」
暴言を吐いてしまいました。
結局どの環境でも私は不満を抱く
ツレには自宅で残ってもらい、1人でドラッグストアー回りを行いました。
検査キットは薬剤師さんが在中するお店でないと販売されていないそうです。
常時私の中でモヤモヤしていた気持ちがあって、それを運転中に母に電話で吐露しました。
私には安心して思いが伝えられる人がいないのです。
母に何を言ったかというと、40代になって周りも既婚者が出てきて、私はこの年齢になっても家庭を持つことができない。
そして、この年齢で独身だと職場でも事情を知らない人から「なぜ結婚をしないのか?」と聞かれる。
家庭が持てない&子供がいないことが悔しい。
それならツレと別れたら良いではないかと思うも別れることができない。
じゃあ結婚するしかないのですが、パートナーとしてツレを支えるだけの力量が私にはないと思う。
結局、できることと言えば私は急激に成長して、彼女を支えられる大きい人間になるしかない!と思って10年以上の月日が経ってしまった。
「女性には適齢期があるからね・・・。」
何度か既婚者から言われたこの言葉が頭を過り、苦しい思いが湧いてくるのです。
そんなことをカッカしながら伝えていると、母このように言われたのでした。

ズギューン!!!
図星です!!!
そう。私はミスター不満マン。
職場に不満を持ち、ツレとの関係に不満を抱き、そして人生そのものに焦りと不満を持っているのです。
気づくと何ひとつ私は満足感を抱いていませんでした。
頭の中はいっぱいいっぱいで、慢性的に内心トゲトゲしい状態で日々を過ごしていました。
私の中の成長とは責任は自分にあると思うこと
本に書いてあることを実践して、メンタルヘルスを高めて認知機能をあげるとか言っても、土台の部分がぐらついていたら話になりません。
私には現状への感謝が足りない。
ひきこもっていた10代から20代前半。
社会になれるために奮闘した20代後半。
職場で干された30代前半。
そして難病のツレと寄り添いながら不満を抱く日々。
そう・・・結局全て私が選んできたことなのです。
人生は父ちゃん・母ちゃん・職場の同僚・ぶっちゃけるとツレのものでもなく、結局は私のものなのです。
自分が変わらないとダメなのです。
自分が変わると決意するしかありません。
それでどうなるかはわかりませんが、人生は自分で選んで作っていくしかないのです。
そのことにドラッグストアーを回りながらも気付かされました。
オチとしては、ドラッグストアーで購入した抗原検査キットでツレは陰性となりました。
そして翌日の大晦日にツレとお父さんと3人で、朝からPCR検査を受けに行ったのでした。
※結局我々は陰性でした!!
半日以上かけた断捨離の成果。