瞑想前に通勤電車内でのサバイバル
思考を止める感覚を自分のものにするために、通勤電車の中で毎日瞑想にチャレンジしています。
といっても朝はまず座席に座る必要があるので席が空くのを待たねばなりません。
朝の車輛内を見回してみます。
まず中学生ぐらいの女の子の隣の1席が空いていました。通路側にその子が座っており窓側に荷物を置いています。すると遠くの方からキツネ目の女子学生がこちらの方に向かってきます。その子のお友達のようです。彼女はその子のために席をとっておいたようです。苦もなくあっさりと席に座る女子学生。美しい友情…。座れない私。席をとっていた女の子は「遅いよ~」なんて言っています…。その美しい友情に朝からイライラしてきます。友情なんてクソですね。
おい!こらっ!どかんかい…と言ってやりたい気分です。
女子中学生相手にキレているのもエネルギーの無駄なので、諦めて周囲を見渡すと、向かいの4席のうち3席を女子中学生か高校生の女の子が占めており1席だけ空いていました。そこに座る勇気は流石にありません。
その隣の向かい4席に目を向けると男子中学生の子たちがポータブルゲームで遊びながら朝からギャーギャー騒いでいます。
うるせー。みなメガネをかけて勉強ができそうな雰囲気なのですが、がり勉特有の周りが全く見えていない感じというのでしょうか?という偏見が込み上げてきます。
ともかくあの一帯に座ると非常にやかましそうなので回避することにして断腸の思いでしばらく立ったまま過ごすのでした。
それにしても、ギャーギャー騒ぐ男子中学生たちを見ていると何と女子に比べて幼く見えることか…。
ああいう子たちを見ていると女の子はおませさん(死語なのか?というより死語という言葉も死語?)が多いという説に納得してしまいます。
しかし電車通勤が長くなってくると、そこそこ知恵も付いてきます。同時刻に座っている他の乗客の顔も少しずつ覚えて、途中の駅で席を立つ人が誰かが解ってくるのです。
その人のすぐそばに立ってマンマーク。そして、当該駅に着いてターゲットにしていた乗客が立つと同時に座るのです。
これぞ生きていくための知恵というものです。 離れた席でギャーギャー騒ぐメガネ男子中学生達に言ってやりたいです。
「どうよ!これが処世術ってやつよ!机に座って教科書を読んで偏差値を競い合うことだけが勉強じゃないで!」なんて負け惜しみ・・。
瞑想の具体的な方法
瞑想のやり方としては座った状態で目を閉じて呼吸に意識を向けます。これが約1分。そして、そこから周囲の音やお尻にあたる座席や背もたれの感触などに意識をひたすら向けて思考を無にしていくのです。
といっても完全に最初から意識に湧き上がる思考を手放すことは難しいので、湧き上がった思考は無理やり押さえつけるのではなく、距離を置いて自然に消えていくまで見守るのです。
目を閉じて深呼吸。そして呼吸に意識を向けるのです。これだけなら難なくこなせるわけです。
そして、周囲の音に耳を澄ませます。あのギャーギャー騒ぐ男子たちはゲームでよく揉めています。ゲームで揉めるか勉強の話しばかりです。しかも大声で…。羞恥心が希薄すぎます。
ああ!いかん!気付いたら考え事をしている!ギャーギャーうるせえな…は思考です。慌ててその思考に距離を置いて自然に消えていくのを待つのですが、距離を置く感覚が今一つよくわかりません。
座禅を組んだ想い出
以前地元の禅寺に行き、座禅を組んだことが何度かありました。
座禅と瞑想ではかなり違うのですが、このときは睡魔と足の痺れに加えて1番きつかったのが顔の痒みでした。警策を持ったお坊さんに監視されているわけで顔を掻くことができません。
精神が崩壊してしまいそうなぐらいに顔が痒くなって、足の痺れもあって上半身と下半身からの二重苦です。
「うおーー!」と叫んで後ろにひっくり返ってやりたい衝動にかられました。
そんなことを瞑想をしながら思い出していたら、自分が再び思考に囚われていることに気付くわけです。
「い、いかん!また考え事してる!」
昔の座禅の思い出から距離を置きます。そして、やすらかに睡魔に襲われて眠りに就いてしまうのでした。
結局、瞑想する→眠る→起きる→もう一度呼吸に意識を向ける→瞑想する→眠る→駅に着く。この繰り返しです。何度も繰り返していますが手応えを感じたことはまだ一度もありません。
朝の通勤時間はうまくいかなかったので、今度は帰宅時間の電車でチャレンジです。朝ほど混んでいないので帰りはすぐに座ることができます。
瞑想を始める→呼吸に意識を向ける→すぐに眠る→疲れているせいもあってより眠りが深いためにずっと眠ってる→自宅の最寄の駅に着く→まだ眠っている→起きる→窓の外を眺めてここはどこだろう?→慌てて電車から飛び出す→反対方向のホームへと移動して落ち込む(つまり寝過ごす)。
1日仕事をこなした疲労もあって、帰宅時間の方が瞑想するにはより難易度が高くなるのでした。
↓瞑想についての情報が載っており、とても参考になります。
粘り強く瞑想する
翌日。朝の列車の中で目の前に座るおじさんが席を立って降りるという奇跡がおきて早々に腰掛けることができました。
その座席には女の子がすでに座っていました。なるべくその子には当たらない様に距離を可能な限り空けて行儀良く座りました。
瞑想はまず深呼吸から入ります。深呼吸がバレてしまうとその女の子にキモい大人だと思われてしまうので、ばれない様にゆっくりと深呼吸。
そして、周囲の音に耳を澄ませました。
また飛ぶ
気付いたら意識が飛んでいました。隣の女の子の肩に当たるぐらいに寄りかかっていました。
まずい!これは気持ち悪がられる!と思ったら彼女の方もグッスリと眠っていたのでした。命拾いです。仕切りなおして再び深呼吸を始めることにしました。
「次は〇〇~、次は〇〇です。降りるときはお忘れ物が無いように…」
えっ?
「ぷっ!しゅ~~~~~!」←これ、ちなみに列車の扉の開く音です。
窓外を見ると見慣れたホームの景色でした。慌ててリュックを抱きかかえて席を立ちました。いつもと全く一緒の展開。進歩無し。今朝の瞑想も残念な結果となりました。
再挑戦
さて、夕方に再度挑戦です。
近所の川沿いにある公園のベンチに座って瞑想を行いました。
歩行者には私の後姿しか見えないので、瞑想をするには絶好のロケーションです。
朝のように遠慮しながら深呼吸をする必要もありません。堂々と目を閉じて周囲の音に耳を澄ませます。
↓ここが近所の絶好のロケーション
感想としては、野外の瞑想って結構怖いものがあります。
背後から人の声や足音が聞こえてくると、ついドキッとして目を開けて振り返ってしまうのです。
またベンチに置いたリュックが置き引きされないかと不安にもなります。
背後で声がするので振り返ってみると、すぐそばにある遊具に小さな子供とお父さんが一緒に遊んでいました。なんだ!ほほえましいじゃねえか!バカ野郎!
再び目を閉じました。
すると、すぐそばを人が歩いている気配を感じました。目を開けると今度はそれは風が吹いて落ち葉が流れていく音でした。
野外で目を閉じるとちょっとした音で戦いてしまいます。
再び目を閉じて音に耳を澄ませるとこんなときに限って急に横風が強くなります。それでもめげずに目を閉じポッと浮かぶ思考から距離を置きながら呼吸に注意を向け続けました。
びくっ!!!
寝てるときに夢で高いところから落ちて体が「びくっ!」となるあの感覚。しっかりと野外でも睡魔に襲われていた・・・というより、はっきりと寝ていました。瞑想するまえにちゃんと寝ろという話ですね。