本の実践

地獄のような言葉を発することで一挙に台無し。

言葉を意識的に変えてみる

正しい方向に生きていく方法

口にした言葉はいずれ自分のもとに返ってくるそうです。

これはスピリチュアル的な考え方なのですが、この世界というのは口に出した言葉をオーダーする仕組みになっていて、良い言葉を発していると再びそのような良い言葉が言いたくなるような出来事がおこる仕組みになっているそうです。

例えば「腹が立つ!むかつく!」と口癖のように言っていると、再び腹の立つような出来事が目の前に現れたり、「大変だ!」と口にしていると同じように大変だと感じる出来事も起きてくるということなのだそうです。

言葉の影響力は皆さんも日々実感していると思います。

自分を卑下するような言葉を発していると惨めな気持ちになってきますし、意欲も削がれていきます。

人生は限られています。自分を貶めるような自滅的な言葉を発して落ち込んでいる時間が私はもったいなと思うのです。

だから普段から自分を元気にさせるような言葉を発することが大事だと思いますし、他人と比較するのではなく、比較するなら意図的に赤ん坊の頃の自分と今の自分を比較する努力をしたり、ライフスタイルを羨んでしまうようなSNSをなるべく遠ざけるとか、気が落ち込んできたら思考を断ち切って心地よくなることに没頭するなど自分で自分の機嫌をとる努力をしていく必要があると思います。

斎藤一人さんの場合

「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ついてる」「ありがとう」「許します」「感謝してます」これらの言葉を斉藤一人さんは天国言葉と表現しています。

これらの「天国言葉」がいわゆる良い言葉というやつで、その反対に口にすることで真っ逆さまに不幸の世界に落ちてしまう言葉を地獄言葉と言います。

地獄言葉の内容は以下のものです。

「恐れている」「ついていない」「不平不満」「グチ・泣き言」「悪口・文句」「心配事」「許せない」

これらを口に出していると、グチや泣き言、不平不満などを言いたくなる状況に陥ってしまうというわけです。

ちなみに天国言葉を口に出していると、潜在意識にこびりついた汚れのようなものが拭き取られて、人生の視界が良好になっていくそうです。

比喩的な表現なのでわかりにくいのですが、発する言葉を前向きにしたり、優しい言葉に変えいてくと人生の判断が間違いにくくなるということだと思います。

つまり直感力が磨かれていくということなのかもしれません。

これは一時期流行った「ホ・オポノポノ」に共通する考え方なのではないかと思います。

 

小林正観さんにも手を出す

小林正観さんの説によると「ありがとう」を2万5千回言うと、人は滂沱の涙を流すようになりその人の心が神性なものに近づくそうです。

そして、そのあとの追加の2万5千回の「ありがとう」でその人の芯に「ありがとう」の言葉が届くようになるのだそうです。

滂沱の涙に憧れて真面目に2万5千回言い続けてみました。

↓その結果

斎藤一人さんも小林正観さんも天国言葉や「ありがとう」の言葉を発すると同時に大事なことがもう一つあると言っています。

それは先ほどにも書いた地獄言葉や負の言葉を言わないということです。

いわゆる良い言葉をいくら言っても、そのあとに地獄言葉を口にすることで築き上げた言葉の貯金が台無しになってしまうそうです。

これじゃあ財布の底に穴が空いているようなものです。

復旧作業は必須なのです。

発する言葉の改善

ひきこもり生活から脱したあと、私は仕事をしながら社会に適応させていくというリハビリ期がありました。

その頃におそらく確か斎藤一人さんの「変な人が書いた成功法則」(講談社+α文庫)だったと思うのですが、天国言葉を唱え続けると頭の中のネガティブなものがいつの間にか前向きなものに変わっていくと知って、表を作って天国言葉を100回口にする度に表のマス目に〇を付けていきました。

部屋の扉に貼った表が〇で埋まっていく度に達成感を感じたものです。

しかし、このときには同時に地獄言葉も口にしていたのです。

飼っている犬にまで心配される日々

この時期よく帰宅すると、これまでの人生の恨みつらみの様なものが湧き上がっていました。

これまでの人生がうまくいかなかったのは、どこかで「親の育て方が悪い・・・」という考えが私にはありました。

フルタイムの仕事を始めて、安いながらもお給料をいただける身分になっても私は惨めなままでした。

人ができることが自分にはできなかったという劣等感の矛先を母にぶつけていました。

しかし母に暴言を吐いている自分がますます惨めになっていきます。その衝動を抑えるために帰宅すると頭からすっぽりと毛布を被って「うわぁぁぁぁ!」と悲鳴を上げていました。

すると悲鳴をあげている私の体に重みを感じたのです。

毛布から顔を出してみると、そこには当時我が家で飼っていた愛犬がのしかかっていたのです。

自慢じゃありませんが我が家の犬は私になついていませんでした。

だから、このようにのしかかってくることは稀だったのですが、悲鳴をあげる私の姿をみて彼女は(ちなみにメス)居ても立ってもいられなくなったのでしょう。

振り返るようにして私の顔を覗き込む彼女と目が合いました。

情けなかったですね・・。犬にまで心配されているということが・・。

本当にこのままではダメな奴のままだと思い、母のせいにするのは辞めようと誓いました。

グチや不満が言える環境に甘えてしまい、自分が抑えられなくなって自分自身が発する言葉に毒されていました。

散々地獄言葉を言ってきた身でありながら、自分のことは棚にあげて、最近ではこのようなことを言っています。

 

愚痴とか言わない方が良いよ・・。

 

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