異なる時間の使い方
働き者の父。
父が家にやってきました。
少し前にスタンディンデスク購入したので、これまで使っていた座卓が不要になりました。
昇降式・車輪がついているから自在に動かせるスタンディングデスク
家具は私の住む地域では処分するときに有料となってしまうので、実家に持ち帰ってもらうことになったのです。
金曜の夜に父はやってきました。

私の自慢のロボット掃除機がいきなり否定されてしまいました。
腹の立つオヤジです。
すると父は私の支度が済むまでの間、床磨きを始めたのです。
瞬く間にきれいになっていく我が家の床。



確かにフローリングが黒ずんでおり、我が家のブラーバでは太刀打ちできないほどに汚れていました。
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床の黒ずみ問題を解決する。
目次1 黒ずみ問題の解決に乗り出す1.1 ブラーバの限界2 部屋の黒ずみ問題2.1 改善点2.2 ウタマロクリーナーとブラーバにも限界がある2.3 ウタマロクリーナーをかけて雑巾を使って磨いてみました ...
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ちなみに、なぜフローリングの黒ずみが落ちないのかという問題について。
ウタマロクリーナーやサットレールを床に吹き付けた後に床をクイックルワイパーで磨いて黒ずみを落としても、その後に水拭きをしていなかったのが原因だと気付きました。
薬剤が残ったままだと床の表面がネチャネチャしており、ブラーバがそのうえを走行することで、ブラーバがかき集めたゴミが床に引っ付いてしまうのです。
だから、何度床を磨いても数日経つとすぐに汚くなってしまうのでした。
サットレール。ウタマロクリーナーでもサットレールでもどちらでも変わらない印象。
クイックルワイパーで床の汚れを落とす。
ちなみに、この世代の人たちは働き者が多いです。
身支度が終わるまでの間、父はロボット掃除機と競り合うかのようにウタマロクリーナーを床にかけてはティッシュで磨き続けていきました。
今後の人生で何に時間を割いていくかということを考える
以前テレビで高野山かどこかの僧侶たちが日々の修行の一環でご飯を作ったり、掃除をする姿をテレビで見ました。
父が床を磨いている姿は、まさにその修行僧を想起させる姿でした。
私は家で行う家事を極力カットしたいので、ロボット掃除機を購入したのですが、なんとなくそのスタンスは間違っており、人として正しい姿は住んでいる部屋を自分で掃除することなのかもしれないと思ったのです。
ひきこもりの無気力時代に働き者に憧れていた時期がありました。
何かをしていないと落ち着かず「ぼーっとする」ことができない私の性格は充分な働き者の要素があるとは思います。
しかし冷静になって考えてみて「掃除がしたいか?」と問われると、そんなことに時間を使うぐらいならブログを書いたり情報を仕入れたり、他のことに時間を使っていきたいのです。
確かに部屋は汚いのですが、父や僧侶の後を追う必要はないと思います。
以前父との会話でこんなことがありました。



自分で洗車をしたほうがより汚れは落ちると思いますが、ちょこっとお金を払えばざっと車の表面を洗車機が洗ってくれるのです。
10分もかかりません。
余った2時間以上の時間でいろいろなことができると思います。
こう思うのは、父に対するコンプレックスでしょうか。
父が正しくて私が間違っているという発想がどこかにあったのですが、そうではなく何を重視しているかという単なる価値観の違いだと思います。
価値観を意識したときに小田桐あさぎさんの著書「嫌なことを全部やめたらすごかった」(WAVE出版)を思い出しました。
何気に私はこの本に影響を受けています。
内容は、人生においてやりたくないことを明確にしていき、それを排除していくことで、やりたいことだけに絞るという生き方を推奨している本でした。
仕事はやりたくないことを嫌々ながらも取り組むものだと思っていた私には、やりたくないことはやらないという発想が欠けていました。
著者の家事に関する考え方は、家事代行さんに任せて、その間お金を稼ぐことに時間を費やすという発想でした。
それが衝撃的だったのです。
また「月に5万円稼ぐのはそんなに難しくない・・」という言葉にも衝撃を受けました。
部屋を綺麗にしてくれる父の姿を見ながら、私なら2週間に1回は家事代行さんを2時間頼んで掃除してもらうなど、自分でやらない手を考えるな・・と思ったのでした。
ちなみに父に対しては「ありがとう!」としっかりと感謝を伝えております。
私も大人になったものです。