本の実践

自己肯定感を上げるために堂々と振る舞う。

ありのままで完全です。

自己肯定感の低さを消費で埋めようとする問題

今回は感情的な欠乏感をテーマにしたお話です。

つまり自己肯定感の問題です。

自己肯定感の低い人が、肯定感を高める方法について・・がテーマです。

「人生改造宣言」タレン・ミーダナー著(税務経理協会)で提案されている課題を実践しているのですが、今回は「お金の流れ出す口をふさぐ」というテーマです。

このテーマは、欠乏感などの感情的な欲求をお金を消費することで埋めていくのはあまり効果がないことであり、結局はその感情的な欲求を直接満たさない限り浪費は止められないという内容です。

特に私は浪費家というわけではないのですが、満たされない感情的な欲求というのは理解ができます。

よって、この課題に取り組んでみる必要があると感じました。

浪費家のリンダの場合

「人生改造宣言」の中ではリンダという浪費家の女性が出てきます。

彼女は人から大事にされていると感じることが、お金を使うことよりも大事だと気付きました。

それから彼女は喜んで大事にしてくれる人を5人見つけて、その5人に向かって自分のことを大事に扱ってもらうように頼んだのです。

そこから1〜2ヶ月の間、あの手この手でその5人に気にかけてもらう様なアプローチをお願いしました・・・というお話。

ひきこもり時代の父の振る舞い

このエピソードを読んでいてひきこもり時代のことを思い出しました。

来る日も来る日も私は家でデッサンを行っていました。

当時の世間知らずな私は、絵を描けてお金を稼げたら人と関わることなくひとりで生きていけると本気で思っていたのです。

絵描きになるという非現実的で漠然とした願望のもと、頭からすっぽりとフードをかぶった当時の私は自室にこもって絵を描き続けました。

父は私が引きこもっていることに対して理解を示していませんでした。

しかし、ある日を境に帰宅すると必ず私の部屋にやってきて挨拶をするようになったのです。

ただいま‥帰ってきたで‥晩ご飯できたら降りてこいよ‥

ほぼ毎回このセリフなのですが、この日々の挨拶によって「気にかけてもらっている」という感覚が私の中で芽生えてきました。

それまで「死にたい」という気持ちが強かったのですが、徐々に「生きよう」にベクトルが変わっていったのです。

人との繋がりは生きる意欲につながっていくのかもしれません。

 

大事にしてくれる人を5人探す

リンダに倣って、私も喜んで大事にしてくれそうな人を5人探してみることにしました。

まず父と母。

そして姉。

もちろんツレ(彼女)。

ここまではトントントンと出てきたのですが、あとの1人がまったく出てきません。

私のことを大事にしてくれそうな友人という存在がいないのです。

悩みに悩んだ末、ラストピースは「自分」ということにしました。トンチの様な苦肉の策です。

つまり自分で自分のことを大切に扱うことで感情的に満たされるのではないか?という意図なのですが、苦し紛れに出した割にはこの解答は秀逸だと思います。

皆にLINEで、週に1度「元気ですか?」「仕事頑張っていますか?」というメッセージを送って欲しいとお願いをしました。

「えっ?なにがあったん?」ともちろん心配されたのですが、意図を説明するとしっかりと理解してもらえたので、この週から家族とツレからメッセージが届くようになりました。

持つべきものは人との繋がりです。

感情的な欲求は人それぞれ

周りの人たちから気にかけてもらうというのは、リンダの場合の解決策であり、解決策は人それぞれだと思います。

そこで家族やツレにメッセージを送ってもらいながらも、自分の中の感情的な問題の解決方法が他にないかを探ってみることにしました。

現在私は職場でなるべく存在を消しながら仕事をしています。

専門的な知識の無さや主張が苦手なことなどがあって、誰からも触れられたくないという摩訶不思議な思いから、伏目がちに消え入りそうな声で、引け目の塊の様な態度をとっています。

また学校が続かなかった。仕事ができなかった。恋人もできなかった。家庭が持てない。子供もいない。友達もいない。

人が当たり前の様にできていることが「ひきこもり」生活を送り始めてからできなくなった劣等感で、いまだに自分に自信が持てないままでした。

だから、まずは自分自身を大切にしようと思ったのです。

自分自身を大切にするということについては、自分を褒めるという解決策があるのですが、それ意外には「美味しいものを食べる」「休息をとって体を労わる」「神経を緩めるために何もしない」「着る服を綺麗なものにする」などが考えられました。

また日頃の態度を改めることで自分を大切にできるようになると思うのです。

少しぐらい態度がでかくても良い

久々にフリースペースで行われている草サッカーに参加しました。

フリースペースは社会的ひきこもり者が集う場所で私はそこの卒業生なのです。

久々の参加ということで、知らない人ばかりだったら居場所がないなと思いました。

また社会復帰をした者として先輩風を吹かせて威圧的な態度をとるのも好きではないので、振る舞い方には気をつけようと思いました。

しかしそれは杞憂でした。

参加者のひとりにサッカーのうまい人がいて、彼はなんとも堂々とした態度を取っていたのでした。

普通に話しかけてくるし、伏目がちになることもない。

自信なさげに消え入りそうな声で話すこともない。

いったいなんなんだ?というぐらいに1ミリも引け目を感じる態度が見られません。

圧倒的に私の方が人生うまくいっていると思うのですが、終始押され気味でした。

冷静に考えると人生がうまくいっていないからといって、なぜ引け目を感じないといけないのかという話なのです。

サッカーの場にいた堂々と振る舞う彼を見て、何もないと思っていても普通に振る舞って良いと気付かされました。

これこそが、大木ゆきのさんの著作に書かれている「ありのままで完全」という意識なのです。

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↓この本の中にも「ありのままで完全」について言及されています

勝手に引け目を感じて控え目な態度をとるのは自分を貶める態度です。

自分自身を貶める態度は自分を大切にしているとは言えません。

自分を大切にするのなら、まずその引け目を感じている態度を改める必要があると思いました。

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