過去のお話

昔の悪い感情が蘇ってくる。

1人になることで凄まじく落ち込む

PCR検査を受けました

このごろ夜中に寝汗をかくことが多いのです。この日も夜中に体が熱くなりました。しかしこの体の暑さは布団の保温によって体温が上がるとかというレベルではなく、明らかに体調の異変を感じたので体温計で測定を行いました。

37、2℃・・・。

普段の体温が低い僕にはこの温度は微熱の部類に入ります。やばい・・・コロナだったら職場に大迷惑です。週末に実家に帰って家族に会い、ツレと一緒に治療に行っています。そして、近所のカフェと整体とジムにも行っており、職場以外にもこれだけ関係各所に迷惑をかけてしまうわけです。恐ろしくなりながらそのまま眠りに就きました・

夜が明けて再び検温をしました。

36,4℃・・・・。

平熱です。

「あっ・・仕事に行ける・・・」

そうは思ったものの、夜中にいったん発熱があったので迷うところです。もしこれで検査を受けると検査結果が出るまで自宅待機となります。何より念のために受けた検査で陽性だったときの場合・・そうなったときは仕方がない!と腹を括ったものの、やはり恐ろしさには変わりありません。

結局職場の上司に相談してPCR検査を受けることにしました。

自宅待機中、鬱々と過ごす

検査結果は陰性でした。しかし、その間の自宅待機を行っていた2日間が僕からすれば地獄のような時間でした。

体調不良で頭がぼーっとして働いていないのもあったのですが、相当昔のひきこもり時期の嫌な感覚が蘇ってきたのです。

職場の同僚たちにもう会いたいくない。今の仕事ははっきり言って好きではない。やりたくないことをこの年になって取り組んで年齢的にもう後戻りはできない。僕の人生は失敗している。仕事を好きになろうと思ってもどうしても好きになれない。

このようにひとつは仕事面に対する後悔でした。そして、もうひとつは間違いなく老いて死んでしまうという恐怖です。

これまで僕は人生の中でいろんなことができるというファンタジーの中で生きてきました。それは現状よりも高く想定した将来に期待を持ったいわば現実逃避になるのですが、自宅待機で1人になって何もできなくなった途端に我に返ってしまったのです。

そこまで多くの収入は見込めず、ストレスの耐性も高くなく、能力もどうやらそれほど高くない。もしかしたらツレの病気も治らないかもしれない。僕にできることは限りがある。どこにでもいる中年男性だ・・という事実が受け入れられないのです。

あれだけ辞めようと思っていたネットの動画ばかり見てしまい、無為に時間を過ごしてしまい、ひたすら眠り続けたのでした。

夜中になって目を閉じると自分は大した人間ではないという劣等感とこれからの不安感が襲ってきて、とうとうベランダから飛び降りてしまいたい衝動に駆られてしまうのでした。

ひきこもり時代にあれだけ家で1人で過ごしていたのに、今は2日で精神がガタガタになってしまうのでした。

希望を探す

もう誰にも会いたくないと思うようになりました。

陰性と判明し家から出てカフェに向かっても気分はそれほど晴れずに沈んだままでした。

これまでもそうだったのですが、気が落ち込んだ時には希望を見出すとエネルギーが湧いてきました。希望とは具体的な行動のことです。希望とは少しでも自分の人生が良くなっていくということなのです。良くなるのはどの分野でも構いません。

YouTubeでとある漫才師のドキュメンタリーを観ていると、この台詞に希望の芽を見出すことができました。

「なんで皆こんなに漫才に一生懸命になってるんだろう・・。その姿を見ていると自分たちが優勝できなくても感動できるんですよね・・・。」

羨ましかったです。

今の仕事が嫌だと言っているけど、僕は仕事に一生懸命になれただろうか?と思うのです。

好きだから一生懸命になるのではなく、一所懸命だから好きになっていくのかもしれません。

間違いなく僕は全力を尽くしているとは言えません。

仕事でも一所懸命に、ブログも一生懸命に、休息も一生懸命に、ツレと過ごす時も一所懸命に(暑苦しいかな?)、力んで緊張して頑張るのではなく、頭を使って限られた時間の中で最善のことに取り組む。そして改善を繰り返す。今の僕にできることはそれだけのような気がします。

仕事に対して嫌だ嫌だと駄々をこねているのは人生がもったいないのです。仕事をしたくないことは確かですが、できる限り一生懸命に取り組んでいこうと思いました。

気は重たいままですが、他にできることはないかと考えた末に以下の2つのことが思いつきました。

①携帯電話を処分する。
②何かしら行動を起こす。

携帯電話の動画やネットは魔力があります。いったん見始めてしまうと平気で30分から1時間の時間が吹き飛んでしまいます。

動画を見るぐらいなら、お金がかかっても漫画喫茶に行ったり、外食をしたり、映画を観に行ったりした方がマシだと思います。時間を浪費させるより、お金を浪費させる方が遥かにマシです。

希死念慮

ひきこもり時代。ネクタイを使ってカーテンレールで首を吊ろうと思いました。

「死ぬ」と言いながらそれが実行できませんでした。もうこれ以上この苦痛には耐えられないと思い、いよいよ今日は実行して命を断とうと思ったのです。

それが、いざカーテンレールにネクタイを絡めた途端に悔しくなって涙が出てきたのでした。

これで死んで誰からも忘れられてしまうのが本当に悔しかったのです。

死ぬことが頭から離れなくなる状態を希死念慮というそうです。その希死念慮が今でも僕の頭の中に残っています。

希死念慮・・なかなか手強い相手ですが、不安定ながらもこれを乗り越えて人生を全うすることを決めた2日間でした。

-過去のお話
-, ,

© 2025 元ひきこもりで彼女が車いすユーザー。そして何とか成長しようとあがく男のブログ Powered by AFFINGER5