目次
楽しんで生きるという世界観を得る
愛のコーヒーカップ理論
人間関係を良好にして、チャンスを増やして人生を好転させていく方法があります。
人付き合いを良くしていくためには他人に対して少なからず愛情が必要なのではないでしょうか?
他人に対して愛情を注ぐためには、自分に対する愛情も必要です。
その方法を「世界でいちばん自分を愛して」中野裕弓著(日本文芸社)という本から見つけ出しました。
人生を好転させる方法は山のようにありますが、この本はストイックではないという点で惹かれました。
私は気に入った本があればたいてい繰り返して何度でも読み返し、頭の中に本のエッセンスを定着させようとします。
しかしこの本に限っては初めて読んだときに、その実践内容がとても新鮮だったので目から鱗の内容でした。
まず人間関係を良好にして、人生を好転させる理論を「愛のコーヒーカップ理論」と言います。
比喩として人の心の器を著者はコーヒーカップと表現しています。
またその中身のコーヒーが「愛」になります。
コーヒーカップの底にはパイプがあって、それが他人のコーヒーカップに繋がっているという前提があります。
そして自分の中のコーヒーカップが「愛」で溢れるぐらいに満たされると、カップの底のパイプへとコーヒー(愛)が流れていき、他人のコーヒーカップも満たされていくという理論です。
よって、まずは自分のコーヒーカップを満たすことが先決であり、自分に徹底的に愛を注ぎます。
10のメニューについて
「愛のコーヒーカップ理論」を前提にして、取り組むことは「10のメニュー」というものです。
まず自分にとって心地良いと感じるものをリスト化します。
それをカード1枚ずつに、リストに書いたことを1つずつしたためていきます。
そして毎日カードを1枚ひいて、それを1つずつ実行していくのです。
楽しいことや、喜びは、自分を徹底的に愛で満たしていく行為というわけです。
愛で満たしていくことで、ご機嫌な気分(フィールグッド)になっていきます。
3週間この「10のメニュー」を継続すると、実践者の体質が変わっていくそうです。
3週間継続すると悩みが解決し、人に愛情を注げるようにもなるので人間関係が良好になり、その人間関係が良好になることで夢をつかみやすくなり、幸運体質になって人生が好転していく可能性が高まるようです。
意識の変化
ひたすら楽しんで人生が変わるなんてこんなオイシイことはありません。
昔の私は苦しみの先に人間的な成長があると思い込んでいました。
しかし、この世界は本当はそうではないってことに少しずつ気付いたのです。
まず、ひきこもりから脱出する時の私は「仕事はつらいことばかりである…」という世界観がありました。
日常生活ですらままならない状態なのに、つらい仕事をしてしまったら自分は潰れてしまうし、そんな社会で自分は生きていけないと思っていました。
この仕事のつらい面を強調する考え方は、父からの影響だと思います。
しかし、20代の半ばで受けた精神科の医師の面談で新しい考え方を教わりました。
「そんなことないと思うよ…仕事は本来楽しいものだよ…。お父さんも本当につらいことばかりだったら仕事は続いていないと思うよ…。無理して仕事をしてみるって本来楽しいことなんだよ……。」
この考えを聞いたときに正直に言うと苛立ちを感じました。
これまで握りしめていた価値観を覆された気分になりました。
それから少しずつ、もしかすると父は楽しいことを見つけ出すのがあまり上手ではないのかもしれないと思うようになりました。
それなら私は楽しいことに目を向ける人生をおくれば良いのです。
苦しいことを乗り越える努力をするより、楽しいことを見出す方向に努力をすれば良いのです。
これまでは苦しみの先に人間的な成長があると思っていたので、物事を選択するときには苦しいことを選ぶことが有意義だと思っていました。
しかし自分なりに相当な努力をしてきたつもりが、数年かけてひきこもりから脱出しても結局は仕事ができるようになっただけだったのです(これでも私にとってはすごいこと)。
多くの人たちが当たり前の様に熟している仕事がやっとできるようになっただけ。
スタート地点に立てただけでした。
これはおかしい・・・・。
努力量を考えるともっと良くなっていないといけない。
報われていない気分でした。
就職してから気付いたことがありました。
それは努力しても同僚たちから尊敬されない人はされないままだし、努力量がそこまであるとは思えない同僚の方が効率的に仕事ができて、同僚たちから一目置かれている状況を何度も目の当たりにしてきたのです。
だから努力(量)をこなせば報われるとは限りません。
楽しいと感じないことを愚直に続けてそこそこの生活を送るのではなく、心地よいことをしたうえで人生を発展させる。
もしそのような人生があるのならば、私は後者の生き方を選びます。
やっとそう思えるようになったのです・・。
愛のコーヒーカップ理論の実践
というわけで「10のメニュー」用のカードを作ってみました。
カード作りのルールとしてはいつでも取り組めるように1人でできること。
また特別にそこまで手間をかけなくても実行できることが条件です。
そして1枚に複数の項目を書くなど何度もカードの内容を練り直し、12枚のカードを作成しました。
それを毎日1枚ずつひいて実践していきます。
私は今回12枚のカードを作成しましたが、10枚のカードを作ることが正式なやり方です。
私の作成したカードの中身です。
3週間は毎日実践することに決めました。
愛のコーヒーカップ理論の経過報告
1週間目
「愛のコーヒーカップ理論」に基づいた「10のメニュー」を実践し始めて1週間が経過しました。
昨日カードをひくと「カフェに行く。ドーナツ・コーヒーを購入する。」が出ました。
忠実にこなさないといけません。
というわけで夜になってそそくさとコンビニに向かいました。
近所の氏神さまに挨拶に行った帰り道にコンビニに寄ることにしました。
いまはどこのコンビニに行ってもドーナツとコーヒーは置いてあります。
私は急いでいました。
このあと実家に帰る予定があったので、最終の電車が無くならないうちに早々にドーナツとコーヒーを食べる必要があったのです。
しかし、急いでいるのに棚をみるとなんとドーナツがありません。
ちょっと歩いたところにセブンイレブンがあるのですが「・・・・・・・チュロッキーもドーナツだな・・・。」とみなして購入。
そして、今度はレジにてコーヒーを買おうとするとここでも足止め。
「すいません・・・いまコーヒー掃除してまして・・・あと5分ほどかかるのですが・・・」

手に持っていたチュロッキーを落とすところでした。
店内でコーヒーができあがるのを待つことに。
ここのローソンの店内が格別に広いわけではないので、所在無さげに先ほど購入したチョロッキーを袋に入れずに裸で持ったまま(袋入れますか?と聞かれ、すぐに食べるつもりだったので断った。良い大人がドーナツを裸で持ったまま立ち尽くすのはちょっと恥ずかしい・・。)お店の隅っこへ。
そして、雑誌コーナーに行って久々に「こち亀」を立ち読み。
昔は熱心に集めていた「こち亀」を何年かぶりにパラパラと斜め読み。
こち亀を熱心に立ち読みするのも何なので、イートインコーナーで大人しく待とうと思うも、店内にイートインコーナーがないことを知る。
再び所在無げにコーヒーができるまで雑誌コーナーの表紙を眺めて過ごすことに。
コーヒーができあがるのを待つ間、むくむくとカードに書かれたことを実践していくことが強制とか義務のようになってきてる…と思うのでした。
あまりにも「愛のコーヒーカップ理論」の型を忠実に実践していこうとし過ぎて、それがストレスになっていたのです。
苦痛を感じるということは、これは本来の意図に反するのではないか?
それならばもう少しゆとりを持って、たとえばドーナツとコーヒーのカードをひいても買いに行くのがストレスならば、家でコーヒーを淹れてゆっくりと飲むとか、そんな臨機応変なやり方も必要ではないか?と思うのでした。
コーヒーできたよ!
コーヒーを店員さんが持ってきてくれました。
それを持ってお店の外に出てタバコを吸っている他のお客さんと並んで、チュロッキーとコーヒーを食べることに。
チュロッキーの袋を開けて一口頬張る。
う、うまい・・・。
そして、チュロッキーをコーヒーで流し込む。
こ、これも、うまい・・・。
なんとも格別なうまさなのです。
これは義務になっている…これじゃコーヒーカップ理論の意図が・・・・。
なんて考えていたのが全て吹き飛ぶうまさでした。
タバコを吸うような感じで立ったままドーナツとコーヒーを飲んでご満悦。
そして終電に間に合うようにそそくさと駅へと向かうのでした。
愛のコーヒーカップ理論を実践する動機
周囲の人を愛で満たせる様な人間になれば、人間関係の面でもいまより苦労しなくて済むようになるのかなと思っています。
この頃気づいたのですが、昔は自分のことを気が優しくて寛容な性格だと思っていたのですが、全くそんなことはありませんでした。
きっと、それはより多くのことを体験するようになって、自分のことを知ったからだと思うのです。
もっと愛情のある人間になりたい・・・。
世界を拡げる意味でも人付き合いを愛のコーヒーカップ理論を通じてレベルアップさせたい。
だからこそ私に必要なのは、自分への愛なのです。