本の実践

幸せは意外と簡単なことだった(斎藤一人さん)。

結局私は運が良い

幸せになろうと思った日

本によって救われたと言っても過言ではありません。

10代の頃、私はひきこもり生活をおくっていました。

そのとき対人恐怖症に陥っていた私を、母親が頻繁に外に連れ出そうとしました。

その出かけた先のひとつが図書館だったのです。

当時は館内にいる他のお客さんの目が気になって、それが頭の中で処理できずにパニックになって逃げ出すという始末だったのですが、母のその行動が花開き、本を読む習慣が身についたのです。

当時読書にハマったきっかけは中島らもさんでした。

彼のエッセイを読み、大人が嫌いでしょうもないと思っていた私は「世の中にこんな大人がいるんだ〜」と目から鱗の心境になったのです。

それから時が流れて、30代になった私は仕事の問題や病気が進行していくツレの問題があって、生き方を変えていく必要性に迫られたのでした。

今まで人生は苦しいもの、仕事は苦しいものと思い続けていました。

しかし、苦しい人生か幸せな人生かは自分で選び取ることができると学んだのです。

私は幸せになろうと本気で思いました。

それから、「幸せ」「幸福」「感謝」「お金」とタイトルに書いてある本をひたすら読んでいき、可能な限り実践していくことにしました。

 

まだまだだと感じますが、いまは昔よりも幸せな人生がおくれている状態です。

本って良いですね。

心の支えになります。

そこで得た知識を活用していけば人生は変わると思います。

だから、役に立ったと感じる本はどんどん紹介していきます。

アプローチの仕方を変えてみる

33歳の頃に人生観が変わりました。

その頃に何があったかというと、職場で完全に村八分となったのです。

半年前にいちど退職した職場に復職したのですが、盛大に送り出してもらいながら出戻りしたことで、同僚のみなさまに総スカンを喰らってしまったワケです。

いま思い出しても辛い1年だったのですが、その職場にはツレがいました。

私が出戻りをしたタイミングで、私とツレがお付き合いしていることが皆にバレてしまい、私とともにツレまでも総スカン。

まさに坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態となってしまい、ストレスでツレの病気がモロに進行し、ツレのお父さんにも嫌われるわ、全然面識の無い整体師のおじさんに批判されて、ツレが友達から「そんな男と付き合うのはやめとけ」と言われるわ、バッシングを受け続けた1年だったのです。

自分が情けなかったです。

なんでこんなにダメなんだと思いました。

そのときにやっと気付きました。

ひきこもり生活からやっと脱し、ヒーヒー言いながらもなんとか社会生活を送り続けて、非正規雇用ながらも5年間仕事を続けることができました。

私よりはるか年下の正規雇用で入社してきた若者たちが、ボーナスの話をしている姿を横目にアリの歩みでここまで積み上げてきたはずでした。

しかし、まったく報われていません・・・。

そもそも人生観というのか、この世界の捉え方を誤っていたのです。

これまでは苦しいことをくぐり抜けた先に大きな成長があり、見返りがあると思っていました。

だから無意識のうちに苦しい道を選んでいる面が私にはあったのです。

それが間違いではないかと、やっとボコボコに痛めつけられて気付いたのです。

楽な道。幸せな道がある。

頑張った先に幸せがあるのではなく、いますぐに幸せになれる道があるということです。

いますぐ幸せになる方法をとっていけば、人生は好転していくそうです。

この時期にお世話になったのが斉藤一人さんの本でした。

↓私が最も好きな一人さんの本。

斎藤一人さんの本に書いてあることを徹底して実践していきました。

学んだことは「顔に艶」「笑顔」「ついてる」などの発する言葉。

そして部屋掃除もこの頃から始めましたし、身形が大切ということも学んで派手目な服を着るようにもなりました。

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一人さんの本に『嫌な人にこそ「感謝してます」と伝えると奇跡が起こるよ‥』と書いてあったので、それを信じて朝一番に勇気を振り絞って、私のことをケチョンケチョンにしている同僚に伝えてみました。

 

若い頃の私「おはようございます!‥感謝してます‥」

ケチョンケチョンの相手「主語がないから誰に言ってるかわからんよ!!」

若い頃の私「・・・・・・・(おうっ)」

 

 

一喝されて切り捨てられてしまいました。

そんな失敗例もありましたが、本気になって実践してからものの2ヶ月ほどで、どんどん私を目の敵にしていた同僚や陰口を言っていた人たちが様々な理由で離れていったのです。

奇跡のような流れでした。

数年にわたり非正規の職員として働き続けてきました。

なんとなく気付いていたことですが、収入をある程度得たいと思ったら職場を変えるなど、それなりの行動をとる必要があると思います。

つまり、非正規という土俵で頑張り続けていても状況は変わらず、正規職員の土俵なり上がらないと人生は変わらないのです。

だから私は苦労して成長する土俵ではなく、幸せになる土俵にこのときに鞍替えすることにしました。

幸せは長い道のりをかけて到達するものではなく、その場で選んでいけるものなのだそうです。

また人生の自然な流れもあるような気もします。

正規職員の土俵に鞍替えと書きましたが、頭でわかっていてもできることとできないことはあると思います。

私の場合出戻りして総スカンを喰らって、それで自分を変えようと思いました(お尻に火が着いた・・。)

だから新しい今の職場にたどり着くことができたわけです。

それはとても自然な流れで、意図的に選んで導き出したものではないような気がします。

しかし失敗しても、その場その場で前向きな行動をとっていれば、あとは自然な流れが導いてくれるような気がします。

↓斎藤一人さんの本の中でも好きな本の1つ

結局私は運の良い人間

私はなんと運の良い人生をおくっているのだろうとフッと思うのです。

高い給料を得ているわけではありませんが、職場でパワハラを受けるわけではなく、結構ぬるい環境で仕事ができています。

こんな生温い環境で仕事をして私は一人前の社会人と言えるのか?と自分の現状を恥じる気持ちが多少あったのですが、このような環境で仕事ができているのは運が良いからだと考え直しました。

仕事が好きではありません。

「好きではない・・」と生温い意識でも仕事はこなせているわけですから、結局「運が良い」のです(ちなみに仕事は真面目に取り組んでいます)。

これは自虐とか自己卑下とかではありません。

本当に運が良いということに気付いただけなのです。

以前の記事でひきこもり生活を送っていた私が、道を外れることなくここまで軌道修正できたことを誇りに思うということを書いたのですが、あのあと実家に帰って両親にその話をしている時に思い直すことになりました。

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家族や社会的ひきこもりの人たちが通うフリースペースのスタッフの皆さんやボランティア先の方々。

そして仕事先でお世話をしてくださった方々など、私がここに至るまでにたくさんの方々がサポートをしてくれました。

なにより私は家族に恵まれていました。

これらを含めて運が良いのです。

家族のサポートによって気持ちが安定していたから前を向くことができたわけですし、職場にそこまで意地の悪い人もいませんでした。

頑張ってここまで来れたのは確かですが、頑張る自分であったということも結局運が良かったのです。

だから、恵まれた人生を歩めていることに感謝の念が湧いてきたのです。

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