マイノリティーとして・・。
大原扁理さん
私は元ひきこもり経験者です。
社会復帰をするにあたり、ひきこもり者が集うフリースペースを経て、就職にありつくことができました。
フリースペースに通っていたということは、ひきこもり経験者と出会うことが多かったということです。
彼等を見ていて不思議に思うことがありました。
それは何故正社員を目指したり、彼女を作ることを目指したり、知識を身につけて向上していこうとしないのだろうということでした。
その長年の疑問に回答を与えてくれる本に出会いました。
「年収90万円東京ハッピーライフ」大原扁理著(太田出版)です。
著者の大原扁理さんは、おおはらへんりと読みます。
東京の外れで生活している若者の雑記というか、考え方が書かれた本です。
得るものが多い本でした。
この本を読んでいて誰もがお金を稼ぎたいわけではないし、誰もが彼女が欲しいわけではない。
著者はもっと自由に生きているし、私が無意識のうちに思っていた正しい生き方というのは(正社員や結婚して家庭を築くなど)、正しくもなんともないのかもしれません。
読後「〇〇でないといけない」という考え方がだいぶ緩んだと思います。
読んでいる時にはそこまで目から鱗が落ちるような思いがあったわけではなかったのですが(著者が強く攻撃的な言葉を使っていないこともあると思います)、個人的にじわじわと読後の影響力が出てくる本だと思います。
ちなみに著者は週に2日福祉施設で仕事をし、あとは仕事をしない生活を送っているようです。
がっぽりと空いた時間を設けて豊かで充実した生活を送っているようです。
特大ブーメラン
フリースペースにいるメンバーを「どうして皆もっと努力をして社会に・・」なんて上から目線で見ていたのは10年以上前のこと。
すると、職場でブーメランが返ってきました。




同僚が根掘り葉掘り私に聞いてきたのです。
気を許してツレのことを言うんじゃなかった・・。
はっきり言って、うるせーと思うのです。
40すぎて家庭を築いていないことに劣等感を感じるようになってきました。
周囲はほとんど家庭を築いている人ばかりなのです。
結婚するのは良いのですが、今更この年で子供ができても成人する頃には60過ぎてるわけです。
いまさら感が私の中で強いわけです。
あと人が経験していることができていない劣等感があるのですが、本当に家庭を持ちたいか?と問われたらそこまで持ちたいと思っていないのも事実でもあるのです。
なぜ?彼女が欲しいと思わないのか?
なぜ?正規社員になろうと思わないのか?
なぜ・・・・・みんな今までごめんなさい・・・。
独自の道を生きると言うこと
そもそも私が引きこもり生活を送っていた時期、夜中にランニングをしていると近所の子供が挨拶をしてきたのです。
私の実家の小学生たちは挨拶をするのです。
この教育が私は嫌でした。
そのころの私は息を潜めるように生きており、挨拶なんてされたくありませんでした。
唐突に「こんばんは!」と言われた私は固まってしまったのです。
すると、その子供は一緒に歩いていた祖父らしき人に言いました。
「ねえ・・なんであの人挨拶しないの?」
この子供の言葉に20代の私は傷ついたのでした。
またひきこもり生活から立ち直る過程で、散髪屋に行くと聞かれるわけです。
「学生さん?」
学校に行かずに仕事もしていないことに負い目を感じていた私は、素性を聞かれたときの返答内容を考えてから髪を切りに行っていました。
そして、聞かれたときにはこのように答えるのです。
「〇〇大学です。」
嘘・・・実は放送大学。
当たり前のように、学校に行き、仕事に行って、家庭を築く人ばかりではないのです。
ちょっとした世間話であっても、これらの言葉に当時の私は動揺するのでした。
「仕事は何してるの?」
「子供はいくつ?」
そのことが多くの人にはわからないし、私もわかりません。
私も同性愛の方に、彼氏は?とか彼女は?と聞く可能性もあるわけですから・・・(今ならセクハラ?にあたる質問ですが・・)。
ひきこもりという経験を経て、今はツレが障害を持ち、結婚に踏み切れない状態が続いて独身状態。
ツレにごめんと思いながらも、私はどうやってもマイノリティーの人生を歩んでしまうようです。
どのような人生を歩んでいくか?
せっかくなので、徹底してマイノリティーと呼ばれる生き方の人たちに共感をしていく方向に全力を注いでみるのも良いかもしれません。
人が経験していないことを私も経験しているわけですから、この状況を武器にしないのはもったいない気がします。
最近身近に友達がアスペルガーであると告白をしました。
共感はできなくても不遇な状況は理解できるはずです。
昔のように負い目を感じる必要はないと思います。