目次
人との付き合い方を学んでいる最中なのである
浅利陽介さんのお話から義理を通すことについて考える
夕方。ツレの実家の近くのお好み焼き屋に行きました。お店を始めて33年経つらしいです。
ツレが小学生の頃から行きつけにしていたお店で、数年前にも1度伺ったお店です。
そこの女将さんがとても気さくな人でいつも歓迎してくれます。
「あ~よく来たね!頑張ってるね!」
数年ぶりにお店に行ったのですが、顔を見るなり昔話に花が咲きます。
よくお客さんを1人ずつ覚えているなと感心したのですが、車いす姿のツレはインパクトが強いので、そもそも忘れようがありません。
「この裏に、お花の教室があってね~、いつも弟さんと教室に行って、帰りによくここに寄ってたのよ~。いま幾つになったん?」
確か数年前に立ち寄った時にも披露していたお花教室の話をしてくれました。
そんな昔話を聞きながら壁に目をやるとどこかで見たことのある俳優さんの写真が飾られていました。
俳優さんは浅利陽介さんでした。
こんな地方の田舎に何故浅利陽介さん?
「浅利さんが大学で講義に来てて、それで教授と一緒に食べに来てくれたのよ~。それで次の年にも来てくれてね…手土産を持って…東京土産ですって。それから私たちファンになってね~」
なんと、1度だけ訪れたお店に手土産を持ってやって来たそうです。
そしてわが身を振り返る。
遠出したときにツレはよくお土産を買おうとするのです。
確か付き合い始めて初めてモメたのは旅先での手土産の多さでした。
ツレは車いすに乗っているから良いのですが、車いすの背もたれに掛けた土産の袋というのは侮れず、背もたれと私の太ももの間にお土産があって、そのせいで前かがみの前傾姿勢で車いすを押す羽目になります。
すると、この姿勢が結構腰に負担がかかるのです。
前傾で腰が痛み始めているのにツレがまだお土産を買おうとするので、とうとう私はキレてしまいました。
それ以来、私はお土産に対する嫌悪感がありました。


このやり取りを旅先で毎度行っています。決まってこのときには私は凄く嫌そうな顔をしているはずです。
そんな中での浅利陽介さんのこの義理堅いエピソード。
私はお世話になった人に果たしてきちんと義理を通しているのか?
いまお付き合いがある人達を大事にしているのか?
もしこの先で結婚式を挙げたときに、私がらみの出席者が圧倒的に少ないことは容易に想像できます。
お土産を買おうとするツレが嫌でしたが、考え方を改めないといけないのは私の方かもしれません。
お好み焼き1つで今日は大きな学びを得ることができた1日でした。
イヤだと思ったことははっきり伝える
自分を大切にすることが最近のテーマになってきています。
参考にしている本を紹介します。斎藤一人さん、舛岡はなゑさんの共著「我慢しない生き方」(ぴあ)です。
タイトル通りの内容の本です。
今回は本の序盤の舛岡はなゑさんのエピソードに出てくる、イヤだと思ったことははっきり伝えるに注目します。
高校時代に嫌味を言う子に対して「やめてくれる?」とピシャと言ってみたそうです。
するとその子の嫌味は収まったそうで、この経験で黙っていると相手はつけあがるということを学んだそうです。
社会人になってからもそのスタンスは変わらず、イヤな上司の理不尽な言葉には「正当な主張」を伝えることを続けて関係を築いていったそうです。
お願い、提案からはひたすら逃げ続けている!
さて職場での自分の様子を振り返ってみたいと思います。
具体的なことは書けませんが、職場には専門職の同僚がいます。
この同僚に対して拒否されることを恐れてこちらからのお願いや提案をこの頃は避けています。
また、それだけではなくこの同僚の主張に対して言われるがままに従ってしまうのです。
深いところでは納得できていません。
しかし怒りをぶつけられる「恐怖」があるため、角を立てないように同僚の主張通りに業務を行ってしまうのです。
もちろん納得できていないので葛藤は生まれます。
すると辛くなってくるので、この同僚と関わりを持つことを避けるようになっていきます。
これが原因で仕事がまったく面白くありません。
本当にこんなことで仕事を辞めたいと思うときがあります。
「ノー」ということはこの世の終わり
思い返すと子供のころから家族以外の他人に対して「ノー」ということができずに、我慢ばかりしていました。
我慢というより感情に蓋をして何も感じないように過ごしてきました。
しかし、それが原因で思春期の頃の私は心身症になってしまい、ひきこもり生活を送るようになりました。
大人になって我慢一辺倒は良くないことに気付いたのですが、新しい人間関係の構築法が見出せないままこの年齢まできた気がします。
舛岡はなゑさんが社会人の頃にイヤな上司に「正当な主張」を伝えていたときには、可愛く素直に言い返していたり、きつい言い方ではなく爽やかに伝えたり、優しい口調を意識していたそうです。
私は思いを伝えることは相手とケンカすることで、関係を壊す行為だと思っていました。
しかしそうではなく、実は思いを伝えるということは相手との関係を大切にするという行為なのかもしれません。
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私は元ひきこもり。
目次1 未来のことを考えて憂う2 ひきこもり時代3 それで変わったのか?4 ひきこもりから脱した自分を誇る 未来のことを考えて憂う 「できそうなことリスト」なるものを作ってみましたが、自分を変えて、体 ...
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本当にひとりが良いのか?
鈴木邦男さんの「愛国者に気をつけろ!」という映画を観ました。
右翼、左翼、政治活動、革命にはとんと関心はないのですが、私はこの鈴木邦夫さん個人に関心があって映画館まで足を運びました。
1番興味をかき立てられたのは、鈴木邦夫さんの周りにはいつも人が寄ってくるという周りの人達の証言でした。
人との関わりを避けて生きてきましたし、それが心地よいと感じているのも事実なのですが、このいつも人に囲まれて生きているという人生が本当に羨ましいと思います。
人に囲まれる人生をおくるためには、たぶん柔和な表情や自分の考えを押し付けないなどのコツがあるとは思うのですが、最低限イヤなことをイヤと相手に伝えることも必要だと思うのです(鈴木さんの口調はマイルドだが、言うときはしっかり言う・・というより武闘派)。
羨ましいと感じるならば変わらないといけません。
ツレに伝える。そしてツレの言葉も聞く。
一足飛びにいきなり「やめてもらいます?」と職場で言うのはスーパーハードなので、ツレに練習相手になってもらいます。
そもそも主張ができないのは、マナーとして相手の主張も聞かないといけないと思っているからで、その相手の主張を聞くことに怯えていて、自分の思いを伝えることを控えてきました。
腹の立つことがあると感情的になって、ズバッとツレを一刀両断していたのですが、それだと関係が悪化してしまいます。
感情的にならなくても穏やかに伝えれば良いのです。
そしてツレも私以上に主張がド下手なので、彼女の練習相手になろうとも思いました。
ツレはたまにこのようなことを言ってくることがありました。
「もうケンカしたくないんだけど…」「そんな言い方はやめてほしい…」「疲れそうだからやめたほうが良いんじゃない?」
ツレが我慢ばかりしているように見えていたので、たまに彼女から思いを伝えられると(それがたとえ抗議でも)嬉しくなってきます。
私も優しい口調を意識して伝える練習をしていきたいと思います。
もつべきものはツレなのです。