過去のお話

四国のお遍路での予言

四国のお遍路で預言者に出会う

神社でのお参り

職場の最寄りの駅から降りて、少し歩いたところに神社があります。

神社前の通りは通行量も多く、職場の同僚に見られるというリスクもあるので、周囲を見回して人がいないことを確かめてから境内に入りました。

そして「アーシング」目的で境内に入ったあとに素足になりたかったのですが、さすがに明るい時間の職場近くで裸足になる度胸はなく、靴のまま本殿に向かって手を合わせることにしました。

氏神様にお参りしたときの作法として、住所と氏名、干支などを声に出すと良いそうです。

神様の世界にもどうやらネットワークが構築されているそうで、職場近くの氏神様に住所を伝えることで、私の家の近くの氏神様にその感謝の念が伝わっていくそうです。

住所、氏名、干支を声に出したあとは、叶えたい願望と感謝の言葉を声に出しながら手を合わせました。

お遍路の思い出

18歳の頃と22歳の頃に2回、私は四国八十八カ所巡りを行いました。

通称お遍路というやつです。

お遍路の途中に高知県の青龍寺というお寺の滝で修行をしている年配の女性と知り合いました。

ぶっちゃけて言うと私はその女性に興味がありませんでした。

しかしお遍路で知り合った一つ年下の男の子がこの女性に興味を抱き「ねぇ!あの人(女性のこと)人の未来が見えるらしいよ!」となんだか盛り上がっていたのです。

当初その話を聞いても「(未来が見える?)ふ~ん…」とつれない返事をしてラジオでプロ野球の日本シリーズを私は聴いていました。

私たちは青龍寺の通夜堂と呼ばれるコンテナの中で寝泊りをしていました。

一つ年下の彼はその滝に打たれて修行をしている女性に関心を持ったばかりにコンテナから出ていき、私はそこで独りぼっちになってしまいました。

コンテナで独りぼっち・・・・・・・・・・。

寂しくなってしまい、後からその女性が修行をしている滝へとひょっこり顔を出してみました。

滝に打たれ始めた経緯

その滝に打たれていた女性は若い頃にお子さんが病気になってしまい、毎夜滝に打たれることで病気の完治を祈願したところから滝行を始めたそうです。

お子さんは病気が治り新聞記者になったのですが、それと引き換えになるかのように今度は女性自身が病気になってしまったそうです。

今では自身の健康を祈願して滝行を続けているようでした。

それから毎夜の滝行のおかげで霊験なるものを手に入れて、それで人の未来が見えるようになったそうです。

弘法大師もびっくりのエピソード・・・。

霊験なるものは真実かどうか?眉唾のままでした。

まずひとつ年下の男の子から見てもらうことになりました。

彼は実家が商売をしているということ。

そして墓参りにほぼ行っていないということを告げられていました。

どうやらその通りだったようです。

ひととおり彼に対するアドバイスが終わると、今度は私の番になりました。

私に関しては兄弟に若くして亡くなっている子がいると言われました。

はい。います…僕は妹がいました…。

「違う・・・あなたのお父さんに兄弟がいたね・・・その人が小さい頃に亡くなっていて、その人があなたの守護霊になってる・・。」

初めて聞いた話です。

その後、やや興奮気味に私は実家に電話をして答え合わせを行いました。

 

父さん!父さんって昔もう一人兄弟がいた?

「・・・・父さんは知らんけどな、昔、父さんが産まれる前に男の子がいたらしいわ・・・・。」

 

えっ!さっき知らないおばちゃんにあんたのお父さんの兄弟に若くして亡くなった人がおって、その人が俺の守護霊になっとるって言われたよ!

「・・・・・・」

 

たまたま当てたにしては出来過ぎな気がします。

年代的に父は兄弟が多い世代でもあり、それで若くして亡くなる人がいる確率がいまの若者よりも高いことは推測できるのですが、それでも私の妹の話を出しても「そうではない」と言い切って父の兄弟と言っていたので、何か不思議な力がこの女性にはあるのかもしれません。

そして、本題の私の未来についてはこのように言われました。

 

 

「あなたは・・・・将来、神社やお寺を見たら拝まざる負えないような人生を送るよ・・・。たとえば車に乗っていても車の中から神社が見えたら引き返して拝みに行くぐらいの人生を・・」

 

 

守護霊が憑いていると指摘されても話半分だったので、これ以上突っ込んで真意を聞きませんでした。

今になってそのことを後悔しています。

この未来については賛否が分かれるところです。

私はそれを聞いたときに、神社はお願いごとをする場だから藁をもすがるような苦難が自分に訪れるのではないかと解釈しました。

そして、その数年後にお遍路経験者の職場の同僚にこのエピソードを話してみたのです。

 

「それは、何かが叶ってお礼を言いに行ってるわけだから、それはこれから良いこと起きるよ!いいな~うらやましいな~」

 

当時、神社は宣言や感謝をする場だと知らなかったで、同僚の言う意味が解らなかったのですが、知れば知るほど何かご利益があってお礼を言いに行っているのではないか?

そうあって欲しい…。

そう思い込もうとしている…わけです。

あれから20年の月日が経過しました。

令和に元号が変わり今や私は毎朝氏神さまや神社を訪れて手を合わせる日常を送っています。

滝行の女性の言うことが当たっていると言えるのか?

それとも女性の言ったことに自分の人生を合わせにいっているのか?は不明なところです。

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