目次
人間関係について考える
狭く浅い交友関係
友達・・・友達って何でしょう?
このように問題提起をする時点で、交友関係がうまくいっていないということです。
うまくいっている人間は自分がやっていることに疑問を持つことはないと思います。
「仕事ってなんだろう?何のために仕事をするのだろう?」
仕事したくないからそんな疑問が浮かぶのです。
「愛ってなんだろう?」
恋人との関係に悩んでいるからそんなことを考えるのです。
例えばポルトガルのサッカー選手、クリスティアーノ・ロナウドが「フットボールって何だろう?なんのためにフットボールしてるのだろう・・。」と考えることはないと思います。
そんなことを考え始めたら日常で当たり前のようにやっているトレーニングに身が入らなくなると思います。
「何のためにフットボールをやるのだろう・・」は引退間際に考える可能性がありますが、現役バリバリだとそんなことは考えないと思います。
さて、友達ってなんでしょう?と考える背景には私の人間関係の乏しさがあります。
「交友関係が狭いけど深い」とかでもないのです。
「狭い上に浅い」わけです。
私が通っていた、ひきこもりの人たちの集まるフリースペースで知り合った仲間たちとたまに遊ぶことがあります。
しかし私が交流のある人はたいてい週末に会うツレと家族だけで、そのほかの日は仕事が終わるとひとりでブログを書き、ジムでひとりでトレーニングを行い、誰とも話をしないままに1日が終わっていくのです。
そんなことではダメだ!!
最近集中して読み直している本があります。
それは「幸福優位の7つの法則」ショーン・エイカー著(徳間書店)です。
この本のなかにソーシャルへの投資という項目があります。
つまりどういうことかと言うと、危機的状況に陥ったときに大切なのは「強固な人間関係」であり、周囲からの支えをより多く持っている人ほど幸せだということなのです。
良好な社会的つながりができると、喜びを生じさせるホルモンのオキシトシンが血中に放出され、不安をたちまち鎮め、集中力を増すのだという。また社会的絆のそれぞれが、心臓血管系、神経内分泌、免疫システムを活性化するので、そういう絆を数多く持つほど、頭も体もよりよく働くようになる。
「幸福優位の7つの法則」ショーン・エイカー著(徳間書店)
仕事の能率を高める ストレスを切り抜けるために何が必要か?
それは濃密な人間関係です。
ではどうすれば良いのか?
濃密な人間関係・・・気が遠くなりそうです。
私には苦手なものが数多くあります。
時間管理が苦手ですし、人に対して意思を伝えることも苦手です。
そしてその際たるものが人間関係なのです(意思を伝えることが苦手だからこそ、人間関係が苦手になっている)。
濃密な・・・ああ・・頭を抱えてしまいそうです。
危機的状況に陥ったときにせっせと周囲とのつながりを断ち切る傾向が私にはあります。
私は17歳の頃に学校に行かなくなったのですが、その時から家にこもるようになり、中学時代からのお友達の誘いの電話を居留守を使って絶っていきました。
その結果が今の乏しい人間関係なのです。
何故危機的状況で孤立するのか?それは他人からのアドバイスが鬱陶しいからです。
うまくいっていない時に好き勝手なことを言われた経験があって、それで傷付いたこと。
また間違っている選択や振る舞いを他人から指摘されることにプライドが傷付いてしまう恐れがあるからです。
しかも追い討ちをかけるように、ひとりでも全く退屈しない性格なのです。

と思ったことがありません。
お休みの日にスケジュールが空白だとワクワクしてきます。
好き勝手にひとりで行動できるので、それが嬉しくなってくるのです。
どちらかというとひとりで過ごす方が好きな性分だと思います。
じゃあ、1人のままで良いじゃん!という話になりそうですが、全くのひとりで良いわけないじゃん!という話でもあるのです。
私にも気の許せる友人が欲しい・・。
また年齢のせいか、親亡き後のことを夜中に考えることがあるのです。
そうなったら私はひとりぼっちなのです。
夜中に恐ろしい気持ちになってしまいます。
というわけで「幸福優位の7つの法則」を参考にしながら、人間関係について私にできそうなことを洗い出してみようと思います。
挨拶を自分から行う
私の普段の振る舞いを振り返ってみようと思います。
まず職場での挨拶について。
挨拶はいつも相手の出方をうかがいます。
相手が挨拶を返してくれるかどうか?すれ違う直前のギリギリまで迷って、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で挨拶。
もし相手の方が挨拶をする気がない場合に私だけ元気にいっぱいに挨拶をしてしまうと、その後の「無」の時間がとても恥ずかしいものになってしまうので、ついギリギリまで相手の出方を見てしまうのです。
この人は確実に挨拶を返してくれるな・・と安心感のある人には比較的大きな声で挨拶をします(できます!)。
また挨拶を返さない前科者に対しては最初から挨拶はしません。
挨拶に関しては人並みに嗜んでおるつもりです。
自分から声をかける
これ、すごく私にとって勇気のいる行為です。
ひきこもりを経験したことで「友達ってどうやって作るんだっけ・・」「人と親しくするってどうやってやるんだっけ?」と思うときがあり、人間関係を開拓していく方法が身についていません。
仕事の話だとできるのですが、雑談となると言葉が出てこなくなるのです。

なんてことをたまに言うのですが、この相手に関心を寄せている自分は本当の自分ではないと言う感覚。
そしてそんなことを言っている自分に違和感があるから、自分から話しかけて話題を振るときの心のぐらつきが半端ないのです。
休憩時間に人と話をする
「幸福優位の7つの法則」によると、職場に頼りになる人がいたり、私的な話ができる人がいるだけでも(昨夜のテレビの話し程度のもので良い)、発想力や創造力、生産性が高まっていくそうです。
これも先ほどの「自分から声をかける」のと一緒で、仕事の話ならできるのですが、私的な話が苦手です。
基本的に人にあまり関心がないのだと思います。
そして先ほどと同じように本当の自分という変なこだわりがあって、関心が無いのに関心のあるフリをして話をしていると、自分を偽っているようで精神の爆発をおこしてしまいそうになるのです(きっとと爆発なんてしない)。
だから話しかけてもらいたくないときにはひたすら携帯電話をいじっているか、休憩時間でも仕事に取り組んで忙しいフリをします(体が勝手にそのように動く)。
でもこの人は興味があるな〜って人には話をしていても苦痛は感じません。
だからこれって本当はノーマルなことなのかもしれません。
というわけで次回も人間関係を広げる方法について考えていきたいと思います。