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言葉を変えて成長していく
疲れているときに電話に出るとロクなことが無いと思った日
ある日の晩。ツレから電話がかかってきました。
その内容は、新しく私が車を買い換えようと思ったらどこの自動車メーカーに行けば良いかというアドバイスと、今後ツレが実家から出ることを考えた場合、仕事のことや福祉サービスのことなどを調べていくために、どこに住むかを確定させていかないといけないという話でした。
車のことは普段ツレが利用している介護タクシーの職員さんからの提案で、車いすが乗せられる車に関するアドバイスでした。
また住む場所の目星をつける必要があるとアドバイスをしたのは、定期的にツレに支援にくる相談援助者の方からでした。
前向きな話なので本来ならば喜ばしいことなのですが、私はその話を冷めた気分で聞いていました。
現実を突きつけられた気分で怖くなってきた
一緒になるならツレしかいないという気持ちでいるのは確かですが、いざ同居するとなると彼女の身の回りの世話をしないといけないという話になってきます。
一緒にいる時点でそのことは理解しないといけないことなのですが、正直な話を言うと、わかっていませんでした。
身の回りの世話って思った時に、自分の時間はなくなって四六時中ツレの相手をしないといけなくなるということ。
そして、この人生で親になることは諦めないといけないということ。
そして、ツレと一緒になることを心底望んでいるとは思えない私の両親と、関係が冷えかけているツレの家族とうまくいくのかという疑問。
それらが頭に思い浮かんで、これからツレと連れ添って生きていくには障壁がデカすぎると思えたのです。
果たして私にできるのか?
「悪いところばかり見つけ出してるじゃん!」
はい。その通りです。私も薄々感じていたことです。
ツレにずばりと上記の小見出しのセリフを言われたのでした・・・。
あれやこれやと難癖をつけて、結局私は逃げ回っていただけでした。
全てツレの問題にしていますが、本気になって対策を練り、本気になって調べて人に頼っていけば2人での生活は可能だと思います。
ツレよりも重度の障害を持った方は世の中にはいます。
それでも家庭を持ち子供も育てている夫婦はいるのです。
全てのことに当てはまると思うのですが、やったことないことを人というのは難しいことのようにとらえる癖があります。
また向こうの家族が・・とか、うちの両親が・・・とか、それよりも私たちの仲が・・いや、その前に私の気持ちが一番大事だと思います。
私のできることは自分の恐怖心をいかに克服していくかなのです。
「大丈夫!俺のところにこい!なんとかなるよ!」
恐怖心を克服する方法。
結論から言うと発する言葉だと思いました。
「俺にできるか・・?」「四六時中一緒にいたら息が詰まりそうじゃん・・」「俺一馬力で頑張らんといけん・・。」「子供は無理よ・・。」
こんな言葉を吐き続けてきました。
弱気な言葉を吐き続けているから恐怖心が育まれてきているのではないかと思うのです。
自己嫌悪を乗り越えた瞬間
30代前半の頃、私は家に帰ると母に向かって自分のこれまでの人生を貶めるような愚痴を繰り返していました。
内容はひきこもり生活は無駄だった。
そしてそのように育てたお母さんお父さんが悪いというような内容を言い続けていたのです。
自分を貶める言葉は苦しくなるもので、我が身を削って両親に復讐をしている心境でした。
しかし、それは精神的な自立ができているとは全く言えない行為だったので、いい加減にこんなことを言うのは自分のためにも家族のためにもやめたいと思っていました。
それでも恐ろしいことに愚痴はなかなか止まりません。
今日こそやめようと思っていてもつい口を滑らせてしまい、一度言葉にすると歯止めが効かなくなったのです。
そして母も私も消耗していくのでした。
そんなある日、いつものように愚痴の衝動が込み上げてきたのですが、そのときはグッと耐えることができたのです。
たった1回我慢しただけでだからなんなんだ?と思いながらもその時は本当に喰いしばる様に毒がこみ上げてくるのを堪えたのです。
すると不思議なものでその1回耐えたことで、愚痴を言いたくなる衝動が湧いてこなくなったのです。
たった1度の行為で私の内面がガラリと変わったのです。
ツレに対する弱気な言葉を我慢するときなのかもしれない



私はこの言葉の力を信じてみようと思いました。
そこまでして自分を変えようと思うのは、きっとツレと一緒にいたいからだと思います。
気が小さく弱い人間ではありますが、この気持ちは本物だと思います。
あと気が小さくて弱い人間という言葉も今日で封印することにします。
強い人間だと思っていたら、強くなっていけそうだからです。