目次
宇宙におまかせしたい気分
仕事が好きになれない
仕事を休みました。半日の時間給をとって昼前まで寝ていたのですが、漠然とした体調不良で家で休養をとっていました。
新型インフルエンザの不安に襲われながらも、体温は上がらず。かといっては明らかに体が万全ではないので、悶々としながらも結局は職場に向かったのです。
これって実は同僚に後ろめたさを感じている部分もあって出勤しようとするポーズを見せているだけなのです。
出勤したらこの体の違和感は気のせいで、回復してるかと思ったのですが、最寄りの駅に着いてみてもそんなことは全くなくて、体調は今ひとつのままで、ふらついていたのでした。
私は仕事が好きではありません。
きっと多くの方がそうだと思います。
意思表示ができる強い自分。ツレを支えられるしっかり者の自分。仕事ができるキレものの自分。いまの自分ではない違う自分になろうと目指すのがいまは辛いのです。
体が元気でないと内面も沈んでいきます。内面と体はつながっており、内面をエネルギーで満たすためには、体がしっかりしないといけません。
体が不調で仕事を休む。まあ、要するにこれはずる休みの一種になるのですが、それが一概に悪いこととも言えません。小田桐あさぎさんの著書に「嫌なこと全部やめたらすごかった 女の無理ゲー攻略ブック」(wave出版)があります。
著者は本の中で、自分の人生から苦手なことや嫌いなことを徹底的に排除して快適な人生を過ごして上機嫌に生きていきましょうと訴えている方です。賛否ある本だと思いますが、私は著者の考え方に共感できます。
苦手なことや嫌いなことを頑張って取り組むということは、私の場合少なからず周囲の目というものがあるからで、それは健康的なこととは言えません。評価されたい。認められたいというより、ただ悪く思われたくないだけなのです。
嫌なことややりたくないことを人生から極力排除することは自分を守るために必要なことです。
彼女の場合は一部の読者や同僚たちからの「否」よりも、自分の気持ちを優先したのだと思います。
頑張った末に心身を壊してしまうぐらいなら、仕事を数日サボって心身のバランスをとった方が私は良いと思います。
ぼーっとする。
疲れているときやイライラしているときに効果的な回復方法が何もしないでぼーっとすることなのだそうです。
「世界で一番楽チンな奇跡の起こし方 宇宙におまかせ!」大木ゆきの著(大和出版)
何度も紹介している本ですが、何もしないでぼーっとするって意外と難易度が高いのです。
本にも書いてあるのですが、何もしないって状況は罪悪感や焦燥感が湧いてくるので、私にはそれが耐えられません。
著者の大木さんは10分でも良いからぼーっとする時間が私は大好きと書いています。
というわけで大木さんを見習って、自宅のテラスに出てプロテインをちびちび飲みながら「ぼーっ」としてみました。
椅子に腰掛け、夜空を眺めます。しかし心地よさは感じません。
前回の記事でも書きましたが、10分という時間制限を設けているせいか、そこに義務感が湧いてくるのでどうも居心地が悪いのです。
それに仕事終わりの疲労感などもあって、突然の睡魔に襲われることにも・・・。
10分が経過した時に、アラームがけたたましく鳴った時の開放感。
私はぼーっとしている時間より、ぼーっとする時間から解放された時間が好き・・。
好きでぼーっとするのと、好きでもないのにぼーっとするのとでは、取り組んでいる時の心の状態が天と地なのです。だから人がやっているから自分にぼーっとする時間を強いるというのは全く違うと思いました。
ぼーっとする方法を模索する
「宇宙におまかせ!」を読み返してみると、ソファーで横になってぼんやりするのもOKのようです。
またお風呂に入って湯船に浸かったままボーッとするのも良いのですが、私の場合、湯温の熱さに耐えられなくてつい飛び出てしまうので、設定温度に気を配る必要があります。
週末のある日にツレと一緒に海沿いのカフェに行きました。
そこのソファー席で背もたれに体を預けたまま、海を眺めてしばらくボーッとしてみようと試みてみました。
↓実際のカフェの様子。絶好のロケーション。
絶好の環境ですが、注文したジェラートを平らげると、ものの数分でしっかりと眠ってしまいました・・。
目が覚めてから、仕切り直してボーッとしようと思ったのですが、出入り口を見ると他のお客さんが並んでいることに気付いたので慌てて退却。
それでも少しはぼーっとできたので、若干の満足感はありましたが、やはりお店だと他のお客さんが待っているというのが頭にあるので、なかなか無心でぼーっとするのは難しいですね。
ぼーっとする環境についてはお店ではなく、自然のなかで時間を気にせず(←ここ重要)に取り組めることがいちばんだと思います。
だから休日の明け方ぐらいに川縁とか、港とかで行うのが自分には合っていそうです。
ぼーっとしてみて気付いたこと
日を改めてテラスに出て、椅子に座ってぼーっとすることにしました。
今回はコーラやコーヒーやドーナツなどをややジャンキーなものを準備して、かじったり飲んだりしながらぼーっとしてみました。まさに至福の時です。
お店だと他のお客さんが出入り口で待っている様子などが見えた時に落ち着かなくなってきます。
だから近所の河原に行きベンチに座ってぼーっとしていたのですが、外でぼーっとしようと思っても警戒心が生まれて緊張感も湧いてきます。だから公園とかだと私の場合脱力しきれません。
緊張感を抜くには自宅でぼーっとすることが適当かもしれません。
テラスでぼーっとする時間を設けた時に気付いたことがいくつかあったので、以下にあげていきたいと思います。
時間を決めない方がいい。
ぼーっとするときに10分のアラームをかけて行うのですが、これだとぼーっとすることにノルマが生まれてしまいます。
きっと10分間ぼーっとしないといけないという義務感が、制限時間を設けることで生まれるからだと思います。
理想としては、ぼーっとしたい時にテラスに出て、気が進まない時は1、2分でも切り上げるというふうに、もっと自由に思うままに取り組んだほうが内面的な効果が生まれると思いました。
ぼーっとする時のスタイルはご自由に。
椅子を置いてそこに座ってぼーっとするスタイルが頭にあったので、いつも座っていたのですが、立ったままぼーっとしたり壁に寄りかかってみたりなど日によって座らない時の方が心地良い感覚がありました。
ぼーっとするときには座るもの、横になるものという固定観念があったのですが、過ごし方は人によって様々。
ぼーっとするとはなにも考えないということ。
ぼーっとするとはどのような意識かわかりませんでした。
色々試してみて「ぼーっとする」というのは、つまり何も考えないこと。意識を空っぽにすることだとわかった気がします。
ごく当たり前のことですが、意識を空にするということが意識できたら、ぼーっとする状態に入ることが以前より簡単になりました。
考えが浮かんだときにはそれを無理やり打ち消そうとすると、ますます大きくなってくるので、考えを無理やり抑えるのではなく、自然と消えるまで見過ごします。
ぼーっとするときは10分という設定をこれまで行なってきましたが、時間は設けないようにしようと思います。
とにかく、きっちりし過ぎると義務感が生まれて苦痛になりそうです。